四部

四部
PV何回も見返しちゃう。
PVの皆の台詞、個人的に環君にびっくりした。
メンタルに寄り添う感じだと思ったけど包容力とは別で、純粋な人が純粋に考えて出てきた素直な言葉っていう印象。
環君の今までの色んな台詞、全体的に良くも悪くも(?)分かりやすくて好き。

三部までの色んな不穏な気配や台詞を考えると、
これから怒濤の展開で進んでいくんだろうなと思うとしんどい。
でも楽しみであるのも事実。

彼らが、これから本当に色んなことを経験した先に(もう色々体験しているけれども)
この先2年、5年、10年と、それぞれがどんなアイドル像を持つのか楽しみなんだ……酷なこと言っているのは分かってるけど……。

もちろん今皆がもっている志や信念が根底にあって、それを糧にしてこれからも進んでいくのも楽しみだし、それを大切にしてほしい。

ただ毎回新しいストーリーが解放される度に思うのが、
これから起こる喜怒哀楽色んな感情が入り乱れる出来事が、
彼らにどんなことを感じさせて、どんな行動を起こさせて、もしかしたら触発されて彼ら自身、それぞれの中にある核になる部分がかわったりするかもしれない。
そう思うと、とんでもないターニングポイントを迎える瞬間を知って、見て、ある意味一緒に追体験できることがすごく贅沢に思える。

これから先も人生をかけて進んでいくであろうアイドルという道で、彼らが自分一人一人、もしくはグループ(運命共同体)で持っていると思われるアイドル像や指針となる何かが、この四部でもっと垣間見れるかもしれないと思うと、やっぱり楽しみ。

もちろん彼らは今までも色んなことを経験していて、色んなことを語ってくれた。それをふまえて、四部へ進んでいく姿をみていきたい。

と言うよりか、四部を考えると絶望しかないから少しでもポジティブになりたかった。

あいかわらずとんちんかん感想文おわり。

九条天への独断と偏見をぶつける

アイドル九条天のアイドルとしての完璧主義は登場当初からわりと分かりやすかった(ラビチャ等々での、ん?と感じるブレはあったけど)
 
アイドルは偶像・偶像視される対象であって、見る人たちが好き勝手思い思いの理想にあてはめたり、好きなように解釈をして応援したり、ファン一人一人が自分の中の理想のアイドルAへ思いを馳せているものだと思う。
九条天は無数とある理想を全て受け止めて受け入れて、完璧なアイドルとしてあることを選び続け、こなし続けている(本人はこなしているという感覚ではないかもしれないけど、私のこれも所詮'ただのファンの偶像崇拝')
アイドルとしての生きざまが好きで、個人的にアイドルへ求めていたものを兼ね備えている九条天が好き。

でもストーリーが進むにつれて、「アイドル九条天」の生をひたすら食い潰していっているような気持ちになっていった。
乱暴なことを言うと、きっとアイドルとして消費されていくことで九条天は九条天で在り続けられていて、逆を言えばアイドルとして消費され続けしゃぶりつくされ、骨の一つも残らなくなったら、それはもうアイドル九条天ではないし、二度とアイドルにも、九条天にもなれないとさえ思ってい、る。個人的に。
 
これはあくまでアイドル九条天の話であって、一人の人間としての天くんとは全く別の話(ただ一人の人間としても天くんはアイドル九条天要素が強すぎるからどうなるんだろうっていう不安はある)
このアイドル九条天が塵1つ残らず綺麗に完璧なアイドルを全うし昇華した時、そのあとの天くんがどうなるのか、考えるのも目の当たりにするのもこわかったりする。
 
アイナナのアイドルたちは皆ファン思いで、ファンの期待に応えようと頑張るし、時には無茶もしちゃうしでもそれは表にださないし、ファンの理想を全うしようと努力して、誠実にファンと向き合おうとしてくれていると思う。
 
九条天もその点はかわらないはずなのに、なぜかアイドル九条天を応援すればするほど、欲すれば欲するほど、彼を後戻りできない残酷な場所へと後押ししている気持ちになる。あと、アイドル九条天のアイドルとしての生の消費、ではなくて、普通の人間九条天としての生を蝕んでいる気持ちにもなる。
ただこんなエゴの塊みたいな気持ちになるって、まず可笑しい。
あのアイドル九条天が、そもそもファンに対してこういう感情を抱かせるわけがないと思う(偶像崇拝)
 
ただ幸運なことに?、表舞台にいるアイドル九条天だけではなくて、ファンでは知るはずもない色んな裏事情まで全て丸っとストーリーを見ていたんだ、私たちは(メタ)
 
あ、だからか。だからあんな気持ちになるんだ。って最近ちょっとだけ考えられるようになった。
 
アイドルとしての消費だのなんだの云々、ただのファンとしてステージ上や画面越しのキラキラした九条天だけを見ていたのであれば、やっぱりこんなもやもやした感情は抱かなかったと思う。
もちろん、トリガーとしての辛い時期をファンとして目の当たりにすれば、九条天の気持ちを勝手に察して、勝手に寄り添って、勝手に共感して応援したり、とかしていたはず。
でもなんか、 舞台裏を知ってしまっている以上、というよりも、舞台裏を知っているからこそ、彼らが活力としているファンからの純粋な気持ちだけで構成された応援やパワーを捧げることができない。
 
だって裏側のドロドロを知っている、もちろんその泥沼があっても彼自身は、輝くことを、ファンへ希望を与えることを選び、光となることを望んでいるとしても。
心のどこかで、無理しないでよ…って言いたくなっちゃう。
そんな「可哀想」がまじった応援は(もはや応援というかあわれみ?)、アイドルであろうと立ち続けている九条天の誠意に対して、最低最悪の侮辱に思える。
 
で結局何周もこの意味不明なことを考えて、裏側では泥沼なのにファンの前では完璧で居続けるからこそアイドル九条天だ。すき。って結論になる。  
 
私は九条天が思い描く理想の九条天の上に、また別の、自分の理想の九条天を夢見ているんだと思う。有象無象の理想集合体が綺麗に形成された姿ではなくて、九条天が作り上げた九条天という基盤が、無数の偶像を吸収して、もはや一部として取り込んでいるような。なんだかよくわからない。ちょっともう滅茶苦茶だけど私の中ではそういうことなんだ。  

パルマ(ハルト編)おわり

パルマ(ハルト編)のエンドを迎えた。
プレイしていたらep4~5あたりからもう涙腺がゆるんだ。終盤にはもうグズグズ泣きながらスマホいじってた。
久しぶりに、ゲームを終えた後で呆然となる感覚を味わった。良い。

新ep配信の毎週火曜日が、ここ最近すごく待ち遠しくて仕方なかった。
ハルト編のエンディングを終え毎週の楽しみもなくなるなと思ってたら、もう次のアオイ編配信が来週の火曜日だとの告知。
また楽しみが生まれたことはすごく嬉しいのに、ハルト編の余韻が抜けないうちに次のアオイ編。

有償アプリだから購入前は、自分に合わなかったらどうしようと思ったけど、そんな心配は無用すぎた。アオイ編ももちろん買う。どんなストーリーなんだろう。

ラビチャ解放

たまっていたラビチャと解放済みのものをもう一度読んだりしてみた。
それで改めて感じたけど、本編とラビチャでは天君のアイドルとしての印象がだいぶ違うなあ、と。
本編からは、ファンは全て平等でありそれ以下でも以上でもなく、その中に優劣なんてつけていなさそうなイメージを持つけど、ラビチャを見ると特定の相手にウインクやファンサービスすることを仄めかす描写があったり。
あと前から気になっていたけど、どのキャラクターもホーム画面でのタップボイス、好感度高めな対応。あの天君が気軽に「何かつくってよ」というあたり、相当親密な関係に思えてならない。

i7一周年ストーリー

アイナナ一周年の記念ストーリー読んだ。
十さんが変装してもすぐバレちゃうってことは、やっぱり彼女と外で会ったりデートしたりって難しそう。
逆に楽さんと天君はわりと外で会っても、そんなにバレないのかな。天君の場合はバレるバレないの問題は関係なしに、外でデートは避けそうだけど。

十さんが車持ちなことをふまえて、休みの日には人がこない静かで景色の良いところにドライブデートとか?
基本は家で過ごして、たまにこういうドライブデートに出掛ける十さん。
その後十さんの車に乗った楽さんと天君が彼女の影をみつけて、楽さんは「女乗せただろ」ってニヤニヤして、天君は「詰めが甘い」って釘をさす。

ときレスライブ

ときレスライブに行ってきた。
本当に「最高」という言葉しか浮かばない。前回のライブももちろん楽しかったけど、それよりもずっとパワーアップしてた。

キャラクターのVRライブなのですごく現実感と没入感もあって、もはや生きている人間だった。ステージ上に一人のアイドルとして、本当に皆がそこにいた。
体の肉厚感だとか動きの重み、地につく足、体格、影、ライトの当たり方諸々がどれも現実。
メンバーそれぞれにダンスのクセがあったり、MCやファンサービス、客煽り、コールアンドレスポンス等々とにかく盛り沢山で、他にも色々。

もっと書きたいことはあるのに、鳥頭と語彙力のなさで何も絞り出せない。
これ以上話すと止まらなくなるし、書いているそばから興奮して、落ち着きがなくなってきた。