九条天への独断と偏見をぶつける

アイドル九条天のアイドルとしての完璧主義は登場当初からわりと分かりやすかった(ラビチャ等々での、ん?と感じるブレはあったけど)
 
アイドルは偶像・偶像視される対象であって、見る人たちが好き勝手思い思いの理想にあてはめたり、好きなように解釈をして応援したり、ファン一人一人が自分の中の理想のアイドルAへ思いを馳せているものだと思う。
九条天は無数とある理想を全て受け止めて受け入れて、完璧なアイドルとしてあることを選び続け、こなし続けている(本人はこなしているという感覚ではないかもしれないけど、私のこれも所詮'ただのファンの偶像崇拝')
アイドルとしての生きざまが好きで、個人的にアイドルへ求めていたものを兼ね備えている九条天が好き。

でもストーリーが進むにつれて、「アイドル九条天」の生をひたすら食い潰していっているような気持ちになっていった。
乱暴なことを言うと、きっとアイドルとして消費されていくことで九条天は九条天で在り続けられていて、逆を言えばアイドルとして消費され続けしゃぶりつくされ、骨の一つも残らなくなったら、それはもうアイドル九条天ではないし、二度とアイドルにも、九条天にもなれないとさえ思ってい、る。個人的に。
 
これはあくまでアイドル九条天の話であって、一人の人間としての天くんとは全く別の話(ただ一人の人間としても天くんはアイドル九条天要素が強すぎるからどうなるんだろうっていう不安はある)
このアイドル九条天が塵1つ残らず綺麗に完璧なアイドルを全うし昇華した時、そのあとの天くんがどうなるのか、考えるのも目の当たりにするのもこわかったりする。
 
アイナナのアイドルたちは皆ファン思いで、ファンの期待に応えようと頑張るし、時には無茶もしちゃうしでもそれは表にださないし、ファンの理想を全うしようと努力して、誠実にファンと向き合おうとしてくれていると思う。
 
九条天もその点はかわらないはずなのに、なぜかアイドル九条天を応援すればするほど、欲すれば欲するほど、彼を後戻りできない残酷な場所へと後押ししている気持ちになる。あと、アイドル九条天のアイドルとしての生の消費、ではなくて、普通の人間九条天としての生を蝕んでいる気持ちにもなる。
ただこんなエゴの塊みたいな気持ちになるって、まず可笑しい。
あのアイドル九条天が、そもそもファンに対してこういう感情を抱かせるわけがないと思う(偶像崇拝)
 
ただ幸運なことに?、表舞台にいるアイドル九条天だけではなくて、ファンでは知るはずもない色んな裏事情まで全て丸っとストーリーを見ていたんだ、私たちは(メタ)
 
あ、だからか。だからあんな気持ちになるんだ。って最近ちょっとだけ考えられるようになった。
 
アイドルとしての消費だのなんだの云々、ただのファンとしてステージ上や画面越しのキラキラした九条天だけを見ていたのであれば、やっぱりこんなもやもやした感情は抱かなかったと思う。
もちろん、トリガーとしての辛い時期をファンとして目の当たりにすれば、九条天の気持ちを勝手に察して、勝手に寄り添って、勝手に共感して応援したり、とかしていたはず。
でもなんか、 舞台裏を知ってしまっている以上、というよりも、舞台裏を知っているからこそ、彼らが活力としているファンからの純粋な気持ちだけで構成された応援やパワーを捧げることができない。
 
だって裏側のドロドロを知っている、もちろんその泥沼があっても彼自身は、輝くことを、ファンへ希望を与えることを選び、光となることを望んでいるとしても。
心のどこかで、無理しないでよ…って言いたくなっちゃう。
そんな「可哀想」がまじった応援は(もはや応援というかあわれみ?)、アイドルであろうと立ち続けている九条天の誠意に対して、最低最悪の侮辱に思える。
 
で結局何周もこの意味不明なことを考えて、裏側では泥沼なのにファンの前では完璧で居続けるからこそアイドル九条天だ。すき。って結論になる。  
 
私は九条天が思い描く理想の九条天の上に、また別の、自分の理想の九条天を夢見ているんだと思う。有象無象の理想集合体が綺麗に形成された姿ではなくて、九条天が作り上げた九条天という基盤が、無数の偶像を吸収して、もはや一部として取り込んでいるような。なんだかよくわからない。ちょっともう滅茶苦茶だけど私の中ではそういうことなんだ。